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錦秋の丹巴路を行く3

四川省

第20回-3

紅葉の丹巴路1

INDEX

  1. 錦秋の丹巴路を行く【八美から丹巴路へ】
  2. 錦秋の丹巴路を行く2【雅拉雪山を望む】
  3. 錦秋の丹巴路を行く3【紅葉の丹巴路1】
  4. 錦秋の丹巴路を行く4【紅葉の丹巴路2】
  5. 錦秋の丹巴路を行く5【四姑娘山の秋】

後漢の詠み人知らずの詩、古詩にこんな一節がある。
「生年不満百 常懐千歳憂 昼短苦夜長 何不秉燭遊 為楽当及時 何能待来慈」
(人の命は短く百年にもならないのに、常に千年も続くと思っているような憂いを懐う。昼が短く、夜が長いと苦しむ。それならどうして燭を灯して夜を楽しまないのだろうか。楽しみはそれが得られる時に求め為すべきなのにどうしてまたその機が来るのを待とうとするのだろうか)。中国を旅しているとつきることのない感動の自然に出会う。これまでそれを求めることなく、機会を引き延ばし、いつか行けるだろうと思い過ごした時が悔やまれる。亜丁や丹巴を訪ねた後、やはり「為楽当及時」。(楽しみを為すは正に時に及ぶべし)楽しいことはそれが得られる時になすべき、とあらためて思った。だが残された時は少ない。わが身を顧みてただ後悔する。もう夜すら短いかも知れないが精いっぱい残された燭を灯そうと丹巴を歩きながら思う。

旅案内

さらに紅葉の丹巴路を歩きながら「代悲白頭翁」(白頭を悲しむ翁に代わる)の「今年花落顔色改 明年花開復誰在」(今年花が散るときわが顔も衰える 明年花が開くとき誰が今年と同じであろうか)を思い出す。人は年々花が同じように、自分もまた同じとつい思ってしまう。「為楽当及時」、思った時に為すべきとわかりつつ「 常懐千歳憂」、千年の愁いがあるように思い過ごした時を悔む。だが今の一歩はきっと若い時の一歩より充実していると思い直して丹巴路を歩く。

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