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錦秋の阿尓山
INDEX
- 錦秋の阿尓山【海拉尓から阿尓山へ】
- 錦秋の阿尓山2【哈拉哈河】
- 錦秋の阿尓山3【天池】
- 錦秋の阿尓山4【駝峰嶺天池】
- 錦秋の阿尓山5【阿尓山の秋 その1】
- 錦秋の阿尓山6【阿尓山の秋 その2】
阿尓山市は内モンゴルの興安盟西北部、大興安嶺西南山麓にある。蒙古国(外モンゴル)に接し、人口32,000人ほどの街である。蒙古族、漢族、回族、満州族、朝鮮族、達斡尓族、苗族、壮族、錫伯族など13の民族が暮らし、最も多いのは蒙古族ある。
海拉尓から省道202号を阿尓山市に向かった。道路は草原の中を地平線の果てまで1本の線となり続いている。まるで雲の中にそのまま入っていくような風景だった。道路と並行して阿尓山と海拉尓を結ぶ鉄道が走っている。
旧満州国時代には旧新京、今の長春から白城に鉄道が敷かれ、白城から白阿鉄道で烏蘭浩特市を通り阿尓山まで列車は通っていた。阿尓山から海拉尓は後に延長した。
白阿鉄道は全長354㎞、阿尓山駅は終点の駅である。1937年、日本の侵略時代に鉱山資源開発のため日本軍がつくった駅であるが、その優美さから有名な駅であり、訪れる人も多く、駅舎は全国重点文物保護単位になっている。花崗岩の石垣のような土台に黄土色の壁と緑の柱が装飾に使われ、旅のロマンを感じさせる駅舎だった。
阿尓山市内で泊まり朝食では大きな銅鍋に蒙古ミルク茶を入れた蒙古鍋茶を飲んだ。鍋茶は煮詰めた紅茶にミルクとバターを入れてつくる、濃厚な香りと味がして野菜が不足する蒙古族の生活に欠かせない飲み物である。