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シルクロードの宝石2
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雲岡石窟が造営されたのは北魏時代。北魏398年、道武帝の時代に都を平城に定めた。平城は現在の大同市の北部にあった。時の皇帝は仏教復興を盛んにし、仏像彫刻に力を入れ、高僧、譚瑶の指導のもと、武州山の山腹に5つの洞窟が掘られた。
北魏孝文帝時代の494年に都は洛陽に移されたが石像の制作は続き、雲岡石窟の建造は520年~525年まで続いた。(495年に完成の諸説あり)雲岡石窟の大きな仏像は、北魏の五帝、道武、明元、太武、景武、文武をモデルとしたとも伝わり、皇帝は仏を体現するものと言われている。
北魏、東魏、西魏、北斉、隋、唐時代をまたぎ150年の年月をかけた壮大な石窟である。45(53の説もある)の主要洞窟と252(254の説もある)の小洞窟があり、59,000体を超える石像がある。












