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神の村トレッキング4
INDEX
- 神の村トレッキング【雨崩村1】
- 神の村トレッキング2【雨崩村2】
- 神の村トレッキング3【冰湖と神瀑1】
- 神の村トレッキング4【冰湖と神瀑2】
- 神の村トレッキング5【神湖1】
- 神の村トレッキング6【神湖2】
- 神の村トレッキング7【神湖3】
雨崩の旅で出会った車の運転手もチベット族だった。ショッキングな話だが、彼の奥さんはお兄さんとの共有という。娘は3人いるが下の子だけ自分の子、上の二人の娘は自分を“おじさん”と呼ぶ。それを聞いた時には信じられなかったが、その後で何人かの人に聞けば、一部だが今もそれが残るという。女性が少ないチベット族ゆえ、なのか、貧しさからなのか、それともチベット奴隷社会の風習が今も残るからなのか。
一緒に山に登ったチベット族ガイドの青年達は皆、やさしい好青年だった。私が心の負担にならないように、急かさずそっと見守りながら私のペースに合わせて登ってくれ、何度もリュックを自分が持とうと語りかけてくれた。
雨崩下村に住むガイドの扎西君もそんなすばらしい青年だった。翌日の神湖に登る前には、彼の家でチベット族が毎日飲む濃厚なミルクティをご馳走になった。雲南や四川のチベット族はそうでもないだろうが、野菜が乏しい拉薩ではお茶が野菜の代用で、茶馬古道は拉薩にお茶を運んだ道である。家では彼のおばさんが漢方の冬虫夏草の手入れをしていた。冬虫夏草は彼らの大切な収入源である。