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仙境の村、党嶺から葫芦海に登る6
INDEX
西蔵族は人が死ぬと天葬(日本では鳥葬と呼ばれる)する。それは魂が抜けた身体を天に送る儀式だそうだ。また、天葬の他に水葬も行われるという。
そして西蔵族は魚を食べない。主に食べるのは牛や羊である。魚を食べないのはチベット仏教の教えも影響しているのだろうか。あるいは水葬のためなのか。
果たして死者にとり、わが身が風にさらされ、鳥につつかれ消えていくのがいいか、それとも深い水に沈み、魚に食われて消えていくのがいいか。
「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」の詩には「今年花落顔色改 明年花開復誰在 已見松柏摧為薪 更聞桑田変成海」(今年も花が散れば顔も老いて、来年花が咲く時に果たして誰がいるだろうか、松柏がもがれて薪となるのをもう何度も見た、さらに桑畑が湖となってしまうのも常に聞くことである)
そんな詩を思い浮かべると人生は寂しくもなるが、きっと西蔵族にとって死は生と同じ、いや死こそが常の姿で生は仮の姿なのかも知れない。だから天葬や水葬はきっと忌みすることでなく祝うべき新天地への旅立ちの儀式なのかも知れない。そんなことを思うのも秘境、党嶺に我が身を委ねているからなのだろうか。