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浪漫の回廊から褐色の大地へ2
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- 浪漫の回廊から褐色の大地へ【阿拉溝から托克遜へ1】
- 浪漫の回廊から褐色の大地へ2【阿拉溝から托克遜へ2】
- 浪漫の回廊から褐色の大地へ3【阿拉溝から托克遜へ3】
巴崙台から南疆線(南新疆鉄道)と並行する省道301号を吐魯番(トルファン)に向かった。高原を走る鉄道線路は雄大な眺めだった。朝早く緑の那拉堤(ナラテー)を出発しやっとここまでたどりついた。吐魯番に近づくとともに緑が少なくなるのがよくわかる。途中でアクシデントがあったが結局「人間万事塞翁が馬」か「禍福は糾(あざな)える縄の如し」なのか、人の禍福は定まりがたく、禍が結局は福となりトルファンまでは景勝地の阿拉(アラ)溝を行くことができた。阿拉溝は“天山道”とも呼ぶ玉門関を出て楼蘭、トルファン、托克遜(タクソン)、魚爾(ユル)溝からタクラマカン砂漠に向かうシルクロードの中道にあり、2千年前には辺境の塞人が勢力を誇った地である。1976年、南疆鉄路の建設中に塞人の王妃と見られる深さ7mの墓が発見され、多数の虎紋金牌や金帯が出土した。そのため阿拉溝は“黄金谷”と呼ばれる。塞人は鼻が高く、先の尖った高い帽子を被る。また周辺の鉄器時代の古墳から頭骨も発見された。阿拉溝河や烏拉斯(ウラス)河が流れる阿拉溝の渓谷は長い旅の疲れを癒すとともに、禍福は自身の心にあることを教えてくれた道だった。