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生命が蘇る地2

新疆ウィグル自治区

第29回-2

昭蘇2

INDEX

  1. 生命が蘇る地【昭蘇1】
  2. 生命が蘇る地2【昭蘇2】
  3. 生命が蘇る地3【昭蘇3】

昭蘇には“草原石人”と呼ぶ石人が陽が登る東を向き大草原の真ん中に立っている。80体が発見され、最も大きな石人は高さ3.1m、小さな石人は0.6mである。大きなものは南米イースター島のモアイ象のようである。新疆北部の阿勒泰(アルタイ)地区にも壁画や青銅器時代と鉄器時代の草原墓地に石人が立っている。昭蘇は西天山のカザフスタン国境近くにあり、シルクロードの北ルートに位置し、昭蘇を南に行けば天山の高山地帯に入りシルクロードの古道が通っている。シルクロードを行く古の旅人やラクダもきっと昭蘇で旅の疲れをいやしたのだろう。シルクロードは砂漠の道はもちろんのこと、北を行く道も敦煌や玉門関、哈密(ハミ)さらに烏魯木斉(ウルムチ)まで草木も乏しい過酷な道が続いた。王之渙は「涼州詞」で「黄河遠上白雲間 一片孤城万仞山 羌笛何須怨楊柳 春光不度玉門関」(黄河をはるかに過ぎ、白雲の間に分け入る、孤独に立つ城が高い山の上に見える、羌(チャン)族はどうして別れの笛を吹くのだろうか、春の光すらも玉門関を越えてここまでとどかないのに)と詠んだ。春の光も届かない道を越えてきた旅人は昭蘇で「万物復蘇」のひと時を過ごしたのだろう。

旅案内

昭蘇は烏孫文化が栄えた地で、中国の悠久の歴史を感じる場所である。烏孫国は一説では紀元前300年~後300年に栄えたと言われ、その時代は春秋戦国時代が終わり秦が中国を統一し、さらに漢へと移った時代である。青銅器さらに鉄器が生産され農耕文化、貨幣による商業文化も栄え、現代の漢字も生まれた時代。そんな時代に西域でも遊牧民による烏孫国が栄え、漢とも同盟を結び500~600年間続いた。烏孫国の時代は日本はまだ古墳文化、縄文後期から弥生時代に移る時代だった。昭蘇は中国の古代史を思い起こさせる地でもある。

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