河南省・洛陽、龍門峡の写真 中原の都、洛陽應天門と牡丹-1

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中原の都、洛陽應天門と牡丹

河南省

第98回-1

應天門

INDEX

  1. 中原の都、洛陽應天門と牡丹【應天門】
  2. 中原の都、洛陽應天門と牡丹4【国際牡丹園】
  3. 中原の都、洛陽應天門と牡丹2【国際牡丹園】
  4. 中原の都、洛陽應天門と牡丹3【国際牡丹園】
  5. 中原の都、洛陽應天門と牡丹5【国際牡丹園】
  6. 中原の都、洛陽應天門と牡丹6【黄河龍門峡】

河南省西部の洛陽は中国の中心で、中華文明発祥の「中原」に位置し、洛河(黄河支流)の南岸にあるため洛陽と名付けられた。4~5千年以上の歴史の地で、夏、周、後漢、曹魏、西晋、北魏、隋、唐など13の王朝が洛陽に都を置いた。シルクロード河南の要衝の街でもある。洛陽は中国で最も長い歴史の都で道教、儒教、仏教の聖地で、多くの古城や石窟遺跡がある。

應天門遺跡は隋、唐時代の宮城遺跡。隋の605年に建立され当初、則天門と名付けられた。應天門は即位、改元などの重要な儀式の場で、隋、唐の時代、日本からの遣隋使、遣唐使など使節を迎える場、迎賓館でもあった。

現在の應天門は2016年に應天門遺跡として再建されて遺跡博物館になっている。

東西137m、曲楼の高さは36mで鳳凰と称される5つの楼閣、五鳳楼がある。

ライトアップされた應天門遺跡に行った。間近で見る五鳳楼は華麗で隋や唐の時代に世界の使節を迎えた栄華を思い起こさせる。

應天門をバックにたくさんの若い女性が時代の民族衣装を着て写真を撮っていた。

“民族妹子”と呼ぶそうだが、今、中国では民族衣装を着て写真を撮るのがブームになっている。“民族妹子”が應天門前の大通りをバイクに乗って走っていた。

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旅案内

應天門博物館は四つの展示場があり9時~17時30分、一般開放されている。入場料は大人60元。唐代、宋代の蓮花紋瓦出土物などが展示されている。

河南省・洛陽、龍門峡周辺の略地図

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