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シルクロードの祈り2
INDEX
- シルクロードの祈り【馬蹄寺】
- シルクロードの祈り2【嘉峪関と明長城】
- シルクロードの祈り3【敦煌郊外】
- シルクロードの祈り4【鳴沙山月牙泉】
- シルクロードの祈り5【敦煌莫高窟】
甘粛省の張掖から敦煌への途中に玉門関、陽関の遺跡がある。陽関は漢の武帝時代に建てられ西域への玄関、シルクロードの重要な関所だった。
玉門関や陽関は、古に西域に旅立つ人々の別れの物語をもたらした。唐の時代、王維はトルファンに赴任する友への別れを惜しみ、「勧君更尽一杯酒 西出陽関無故人」(さらにもう一杯飲みあかそうではないか、陽関を出ればもう共に飲む友もいなくなる)と詠んだ。
玉門関は匈奴と戦う戦場への入り口。李白は「子夜呉歌」で「長安一片月 万戸搗衣声 秋風吹不尽 総是玉関情 何日平胡慮 良人罷遠征」(長安の一片の月、家々から聞こえる砧(きぬた)の音、秋風止まず、すべてが玉門関にいるあなたを偲ばせる、あなたはいつ遠征から戻れるのでしょう)と詠んだ。
玉門間を越えるとシルクロードは灼熱と砂嵐が舞う苛酷な道になる。そこには最西域の明長城もある。
明時代に嘉峪関城が築かれた。祁連山を望む嘉峪関城の塔が美しいシルエットを描く。