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客家(はっか)の故郷3
INDEX
- 客家(はっか)の故郷【南靖土楼と田螺杭雲水謡1】
- 客家(はっか)の故郷2【南靖土楼と田螺杭雲水謡2】
- 客家(はっか)の故郷3【南靖土楼と田螺杭雲水謡3】
- 客家(はっか)の故郷4【南靖土楼と田螺杭雲水謡5】
- 客家(はっか)の故郷5【永定土楼】
「客家」がなぜこのような建物を建てたのだろうか。それは建物全体を外から見れば容易にわかる。茶色い土の外壁には、小さな窓が建物の上層階にあるだけで、玄関入口も小さく、厚く重い扉があり、堅固な要塞のように見える。まるで日本の城の城壁や武者窓を連想させるような要塞である。敵が攻めてきても容易に建物には火をつけることが出来なかっただろう。そして外敵から守るため一族が集団で暮した。
「客家」は北方民族の侵略を逃れ南方に移住し、住居には敵の攻撃から守る堅固さと一族が安心して暮らせる住まいを求めた。