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廬山会議の歴史の地を訪ね五老峰を登る2
INDEX
- 廬山会議の歴史の地を訪ね五老峰を登る【廬山1】
- 廬山会議の歴史の地を訪ね五老峰を登る2【廬山2】
- 廬山会議の歴史の地を訪ね五老峰を登る3【五老峰】
廬山は南昌から北に高速鉄道でおよそ40分程度、鄱陽(ポヤン)湖畔に聳える山である。廬山は山紫水明の自然豊かなところで、李白は「日照香炉生紫煙 遥看瀑布挂前川」(陽が香炉を照らして紫煙が立ち上っている、はるかに前方には大きな滝が見える)と詠んだ。
廬山には山の上にイギリス租界時代に建てられた多くの別荘が残り、観光施設として活用されて多くの観光客が訪れる地である。1946年に蒋介石と米国特使マーシャルが国民党と共産党の今後について協議した「国共談判」の地であり、また1959年には毛沢東が中国共産党中央政治局会議を行った、いわゆる「廬山会議」の地でもある。共産党と国民党は相いれることなく袂をわかったが「国共談判」の結果が違えば歴史も、現在の中国の姿も違ったかもしれない。
中国は廬山だけでなく、上海や青島など各所にある侵略時代の歴史の建物を保存し、観光資源としても活用している。それだけ懐が深いのだろうと思いながら廬山を歩いた。