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廬山会議の歴史の地を訪ね五老峰を登る3
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- 廬山会議の歴史の地を訪ね五老峰を登る【廬山1】
- 廬山会議の歴史の地を訪ね五老峰を登る2【廬山2】
- 廬山会議の歴史の地を訪ね五老峰を登る3【五老峰】
廬山の東南に聳える五老峰に登った。あいにく鄱陽(ポヤン)湖は霞んで見えなかった。五老峰は五つの岩峰が並ぶ山で最も高い峰は海抜1,463mである。遠くから見ると5人の老翁が座しているように見えその名がついた。また古来、中国の易学、星象(古代思想の星座の明暗、位置などで人の運命を占う卦)の創元の山とも言われる。漢詩には山や高楼に登り詠まれた詩も多い。中原(河南省の洛陽や開封など黄河中流域の広大な平原)を大河が流れていく雄大な風景を見ていると自然と詩が生まれたのだろう。李白にも影響を与えたと言われる陳子昻の幽州台に登る、の詩は「前不見古人 後不見来者 念天地之悠悠 独愴然而涕下」(自分の前にも後にも人はいない、ただ天地の悠悠たる様を想い、一人悲しく涙が落ちる)と詠っている。幽州台は北京の近くであるが、五老峰の頂からはるか長江が大平原をながれていくのを見て古の賢人もきっとそのような想いになり、そこから易学が生まれたのかもしれない。唐代の白居易にも廬山を詠んだ詩がある。「香炉峰雪撥簾看 匡廬便是逃名地」(簾をあげ香炉峰の雪を見る、廬山は世間を気にせずおられるところだ) 官吏だった白居易が廬山のある九江に左遷された時の詩の一節である。