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華僑の故郷を訪ねて2

広東省

第40回-2

開平2

INDEX

  1. 華僑の故郷を訪ねて【開平1】
  2. 華僑の故郷を訪ねて2【開平2】

江戸時代に黒船が来て日本が開国に向かうのは1850年代である。中国はその80年ほど前にアメリカなどと対外交易を進めた。シルクロードを西域に向かったその開拓精神が脈々と中国人の血に流れているのだろう。“売猪仔”と言われながらもいつか故郷に錦をと思いながら苦役に絶えたのだろう。
米国の大陸横断鉄道も当初は他の国からの移民により工事が進んだ。しかしその過酷な建設工事に耐えることができる人がなく、結局、開平の移民に工事が委ねられた。そして“売猪仔”と呼ばれた人たちが苦難に絶え、横断鉄道は完成した。
1854年にエール大学を卒業した最初のアジア人留学生は中国人で、1870年には米国に6.3万人の中国人移民がいた。1880年のサクラメントの農場労働者の86%が中国人だった。開平の人々、黒人そして日本人、いろんな人種の血と汗と涙で築かれたのが米国でもある。開平望楼の一つの建物の屋上から周囲に建つ楼を見ているとその一つ一つが開平移民が辿った歴史を語りかけるように佇んでいる。
そして日本人の海外移民も“売猪仔”だったと思いながら歴史の地を後にした。

旅案内

“売猪仔”は1840年から1870年が最盛期だった。東南アジアやアメリカ大陸、欧州など“猪仔”が世界に送られた。しかし海上での悪天候で目的地に到着できなかった“猪仔”は半数以上に及んだと言われる。さらに苦役の果てに移民先で亡くなった人も多数に及びその死亡率は極端に高かった。なんだか新型ウィルス禍での黒人死亡率に重なる話である。

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