感動中国100 記事一覧
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第42回
野焼きの煙たなびく桃源郷と嶺南建築古鎮百里水墨画廊/黄姚古鎮
李白の詩に「山中与幽人対灼」(山中で幽人と酒を酌み交わす)がある。「両人対酌山花開 一杯一杯復一杯 我酔欲眠卿且去 明朝有意抱琴来」(二人で向かい合い酒を酌み交わしていると山の花が開く、 一杯、一杯、さあまた一杯飲もう、私は酔ってしまい眠たくなった、君はもう帰っていいよ、明朝、気が向けばまた琴を抱いてくればいい)の詩がある。思いがけずにふらっと立ち寄った“百里水墨画廊”のある鐘山県の村は一杯一杯また一杯の言葉と琴の音がふさわしい村だった。桃源郷の中で 琴の音を聞き、月を見ればどんなに幸せなひと時を過ごせるのだろうか。
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第41回
山を彩る金色の絨毯龍脊棚田
稲を刈る前の黄金の棚田、雪の棚田、田の水が輝く棚田、青々とした棚田、霧がながれる幻想的な棚田。季節により棚田で見る夢も違う。自然をあるがままに受け入れて棚田は代々子孫に引き継がれた。毎日、何百mも山を登り、田を耕す。大変なことと思いながら棚田を見ていると、どこからか“そんなことはあたりまえ、だってもう千年も同じことをしてきたのだから”という声が聞こえたような気がする。今年も棚田は農機具を使わずに人の手で耕やされ、実りの秋を迎えた。その日、龍脊棚田の朝は雲に覆われ、陽が昇ると霧が流れて黄金の棚田が姿を現した。山肌を縫うように曲がりくねってどこまでも続く棚田。だから龍の背と名付けられたのだろうか。
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第40回
華僑の故郷を訪ねて開平
1840年~1911年にかけて数百万人の中国人が米国など海外に渡り鉱山で金採掘や鉄道建設、農業に従事し、都会では貿易や飲食業などの仕事に就いた。アメリカ横断鉄道は広東省の江門から米国に渡った労働者の力により建設された。当時、彼らは“売猪仔”(子豚を売る)と呼ばれ、それは海外で苦役に就く中国人の血と涙と汗を象徴する言葉だった。広東省の珠江の西、江門市に県級市の開平がある。開平は“華僑の故郷”である。
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第39回
四姑娘山、大峰を登る長坪溝/枯樹灘/四姑娘山鎮から大本営ベースキャンプへ/大峰山頂
朝の3時過ぎにキャンプを出発し真っ暗な山道を登る。かなり急な道を登っていると思いながらも自分の足元しか見えず、やっとの思いで頂上直下の4,900m地点にたどりついた。頂上はあいにく雲で覆われていた。あと100mの足が重く登頂を断念して引き返えすことにした。山頂からすぐに氷河が削ったカールが広がり、その向こうに雲海が広がっていた。前を歩くガイドの姿が稜線に見える。まるで孤高の人のように雲を背に浮かんでいる。海抜6,250mの四峰は雲におおわれたまま、ついに姿を見せなかった。四姑娘山への初めての登山で、身近に私の姿を見ようなんて、なんという思いあがり!とすまし顔で語りかけられているようだった。今度はどこかで6,000mに挑戦しようと思い大峰を後にした。
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第38回
仙境の村、党嶺から葫芦海に登る成都賽窄巷子/塔嶺村/葫芦海への登山道/葫芦海
党嶺村から900mの高低差を3時間ほどかけて登り海抜4,200mにある葫芦(フル)海に着いた。途中、出会う人もなく葫芦海は静寂の中で青い水を湛えていた。葫芦海は海抜5,470mの夏羌拉( シャチャンラ)を背景に碧水を湛える秘境の湖だった。夏羌拉は藏(チベット)語で“美女神仙”と言われる。きっとそこには仙境を守る美しい女神がいるのだろう。夏羌拉は四川省にある大雪山系中の党嶺山脈の主峰で、党嶺山脈には海抜5千m以上の山が28ある。麓の蔵族の人たちにとって葫芦海は聖湖で、信仰の対象である。
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第37回
灼熱の大地を歩き緑の谷で憩う火焔山/葡萄溝
火焔山の年平均降水量は16.6mm、平均地表温度は70度、最高温度は83度に達し、時に炭層が燃えて煙が昇り、西遊記の舞台となった。草も生えない褐色の大地を歩き西遊記の世界に身を置きながら、しばし砂漠を行くシルクロードの旅人に思いをめぐらせた。 甘粛省から鉄道で烏魯木斉に向かうと酒泉(シュセン)、嘉峪(カヨク)関を過ぎるともうそこは砂漠で火焔山が続いている。シルクロードのほとんどはそんな道である。焔の大地を歩いていると、どこからか三蔵法師、孫悟空や猪八戒が現れる、ふとそんな気がした。
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第36回
浪漫の回廊から褐色の大地へ阿拉溝から托克遜へ
トルファンまでの道は景勝地の阿拉(アラ)溝を行く道だった。阿拉溝は玉門関を出て楼蘭、トルファン、托克遜(タクソン)、魚爾(ユル)溝からタクラマカン砂漠に向かう“天山道”とも呼ぶシルクロードの中道にある。2千年前には辺境の塞人が勢力を誇った。1976年、南疆鉄路の建設中に塞人の王妃と見られる深さ7mの墓が発見され、多数の虎紋金牌や金帯が出土した。そのため阿拉溝は“黄金谷”と呼ばれる。
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第35回
天山の浪漫の回廊中天山から国道218号を行く
天山山脈を縫うように走る伊梨河谷からトルファンへの国道218号は浪漫の街道だった。パオと牧場、馬や牛、羊、赤や青の屋根の家を見ながら、時に牧草地へと導かれる羊の群れに道をふさがれながら、深緑の街道を走った。那拉堤を過ぎると間もなく巩乃斯(コンナイシ)溝に入って行く。真っ青な空を背に、眼前に広がる大草原に向かい感動の声を上げ皆で万歳をする。雪山の上に浮かぶ手につかめるような真っ白の雲、その道は心に残る浪漫の回廊だった
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第34回
清風吹き渡る三面青山の草原劇場那拉堤(ナラテー)
那拉堤(ナラテー)は“三面青山列翠屏、腰囲玉帯河縦横”、三方を緑の山に囲まれ、玉帯のような河が縦横にながれると言われる草原である。谷間の草原はまるで草原劇場の舞台のようだった。舞台で馬や羊が戯れ、点在する白いパオは緑の中に輝く真珠のようだった。山の中腹から草原を眺めていると、清らかな風に乗ってカザフ族の女性が真っ白い衣装をまとい歌う、ソプラノの歌声が聞こえてくる。そんな思いがする緑の劇場だった。きっと昔、カザフの遊牧民はこの緑の舞台で狩りの祈りを捧げ、民族衣装を着飾って踊り、空に向かって唄ったのだろう。