感動中国100 記事一覧
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第17回
神々の山仙乃日
亜丁村、ここはチベット族の信仰の地である。村は「観音」「文殊」「金剛」の三位菩薩にたとえられる三つの雪峰に囲まれていた。一番高い山は標高6,032mの北峰、観世音菩薩の仙乃日である。その姿はまるで慈母観音のようでもあった。仙乃日の麓には仏様に仕えるように冲古(チョンク)寺があり、寺は紅葉に映え金色に輝いていた。 仙乃日の足もとには珍珠海が静寂の中で碧い水をたたえている。「碧波蕩漾」の言葉のように碧い水が静かに波打ち、仙乃日の麓には慈母観音を愛でるかのように金色の紅葉が輝いている。
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第16回
亜丁への道紅石公園/紅石公園から康定へ/折多山 貢嗄(コンガ)山/天路十八号と理塘/海子山
康定から新都橋に向かう途中、国道318号は海抜4,298mの折多(チタ)山峠を通る。峠を越える道は壮観である。峠で車を止めてアイゼンをつけて雪の折多山に登った。折多山は青藏高原に入る分水嶺で、折多山を越えると茶馬古道はチベットに入る。折多はチベット語で“湾曲”を意味し、“嘉絨”(美しい織物)とも呼ばれる。山への登り道の両側に風馬旗が風になびき、その道は天に上る階段のようである。
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第15回
高山を仰ぐ壮大なドラマ貢嗄(コンガ)山と海螺(ハイロウ)溝
その日、貢嘎(コンガ)山の麓の氷河、海螺(ハイロウ)溝は厚い雲に覆われ周囲の雪峰はブェールに包まれたように姿を隠していた。氷河を歩きながらふと後ろをふりかえると、ポツンと点のように青い色が現れた。そして青い点は次第に大きくなり、まるで額縁の絵を見るかのように雪峰の頂が現れた。いったい誰がそんな演出をしたのだろうか。壮大な大自然のドラマの一コマだった。
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第14回
天山の山懐に抱かれて天山天池/南山牧場/奎屯河大峡谷
明の時代の呉偉業が詠んだ口占(即興)の詩の一節に、「兼来高枕白雲辺 吾生此外無他願」がある。生きるのに退屈すれば枕を高くして白雲の下に寝転んでいればよい。我が人生、他に何の望みがあろうか。という詩である。南山牧場で花に囲まれ温かい春の陽ざしを浴びながら、白雲の下で長い時間寝ていると、呉偉業が詠んだように他には何もいらないという気になってきた。
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第13回
龍が住む城烏爾禾魔鬼城
魔鬼城はジュンガル盆地の西、石油の街の克拉瑪依(カラマイ)から120㎞ほどの地にあり面積は10㎢。魔鬼城には草木一つない、何億年の風雨により浸食された奇怪な形の茶色い山が続いている。魔鬼城はウィグル語の“雅丹”(ヤルダン)地形で“陡壁之丘”(切り立った崖)の意である。また“鬼斧神工”、神が鬼に斧を振るわせつくったとも言われる。
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第12回
砂漠と緑の競演五彩灘
布爾津から西に24㎞、エルテイシ河畔に五彩灘がある。川を挟み向こうは緑の森、こちらは赤茶けた岩の砂漠である。緑の森を北に進めば「最後の浄土」のカナスに入ってゆく。赤茶けた岩のずっと向こうにはジュンガル盆地の砂漠が拡がる。朝早く岩山に登れば新疆の地平の向こうから昇る日の出、夕刻にはアルタイの山に沈む夕日を見ることができるだろう。エルテイシ河を赤く染め、褐色の大地をさらに赤く染めてシベリアの大平原へと沈む夕陽。夕陽を見に再びこの地を訪れたいという想いがわいてくる。
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第11回
トゥバ族と哈薩克(カザフ)族の浄土喀納斯(カナス)禾木村
喀納斯禾木(カナスフム)の村はアルタイの山々に囲まれていた。そこはモンゴル系のトゥバ族やカザフ族が暮らす浄土の村だった。朝早く村が一望できる丘に登った。朝食の支度で家々から立ち上る煙は大自然に抱かれて暮らす人々の温もりを感じさせてくれる。その煙を見るために真冬に遠くからフム村を訪れる旅人も多い。
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第10回
最後の浄土喀納斯(カナス)
カナス(喀納斯)は中国の西北、北はロシア、東はモンゴル、西はカザフスタンと国境を接し、アルタイ山脈の山懐に抱かれてトゥバ族やカザフ族が自然と共生して暮らす「最後の浄土」と呼ばれる秘境である。カナス湖を見下ろす山に登り、花と緑の中に身を置けば人生の悩みなどは些細なことと思えてくる。正に訪れる人の心を癒す浄土である。カナス湖の水はロシアのゴビ川を経て北極海に注ぐ。
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第9回
烏魯木斉(ウルムチ)からカナスへ蘭州から烏魯木斉へ/烏魯木斉 ジュンガル盆地/砂漠の道 カナスへの玄関、布爾津/阿勒泰の深緑の谷
甘粛省の蘭州から烏魯木斉まで高速鉄道に乗り烏魯木斉に着いた。烏魯木斉からジュンガル盆地の砂漠地帯の東側、国道216号で阿勒泰(アルタイ)地区を北上する。カナスへの玄関の街、布爾津までの距離はおよそ700㎞ほどでその日は布爾津に泊った。草木の無い砂漠の中の道を走り、布爾津に近づくと緑が見えてくる。ジュンガル盆地を周遊できるように国道217号も盆地の西を通っているが一周すれば1,500㎞くらいになる。だろうか。











