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生命が蘇る地2
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- 生命が蘇る地【昭蘇1】
- 生命が蘇る地2【昭蘇2】
- 生命が蘇る地3【昭蘇3】
昭蘇には“草原石人”と呼ぶ石人が陽が登る東を向き大草原の真ん中に立っている。80体が発見され、最も大きな石人は高さ3.1m、小さな石人は0.6mである。大きなものは南米イースター島のモアイ象のようである。新疆北部の阿勒泰(アルタイ)地区にも壁画や青銅器時代と鉄器時代の草原墓地に石人が立っている。昭蘇は西天山のカザフスタン国境近くにあり、シルクロードの北ルートに位置し、昭蘇を南に行けば天山の高山地帯に入りシルクロードの古道が通っている。シルクロードを行く古の旅人やラクダもきっと昭蘇で旅の疲れをいやしたのだろう。シルクロードは砂漠の道はもちろんのこと、北を行く道も敦煌や玉門関、哈密(ハミ)さらに烏魯木斉(ウルムチ)まで草木も乏しい過酷な道が続いた。王之渙は「涼州詞」で「黄河遠上白雲間 一片孤城万仞山 羌笛何須怨楊柳 春光不度玉門関」(黄河をはるかに過ぎ、白雲の間に分け入る、孤独に立つ城が高い山の上に見える、羌(チャン)族はどうして別れの笛を吹くのだろうか、春の光すらも玉門関を越えてここまでとどかないのに)と詠んだ。春の光も届かない道を越えてきた旅人は昭蘇で「万物復蘇」のひと時を過ごしたのだろう。