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清朝四大皇帝、康熙帝ゆかりの地を訪ねて4

北京、河北省

第27回-4

普陀宗乗之廟

INDEX

  1. 清朝四大皇帝、康熙帝ゆかりの地を訪ねて【北京から河北路を内モンゴルへ】
  2. 清朝四大皇帝、康熙帝ゆかりの地を訪ねて2【奇岩の回廊(承徳近郊)】
  3. 清朝四大皇帝、康熙帝ゆかりの地を訪ねて3【避暑山庄】
  4. 清朝四大皇帝、康熙帝ゆかりの地を訪ねて4【普陀宗乗之廟】
  5. 清朝四大皇帝、康熙帝ゆかりの地を訪ねて5【普楽寺夕景】

避暑山庄と川を隔ててその向かい側に普陀宗乗之廟という廟がある。清朝乾隆帝の60歳とその母の80歳の寿を祝って建造され、チベット、拉薩のポタラ宮に因み“小ポタラ宮”と言われる。敷地面積は22万㎡でチベット王を招待するためにも使われた。中央正面の大紅台という赤い建物は圧巻である。大紅台の前には大小60余りの白亜の建物群があり、避暑山庄の山に登ってそれらの建物を見ると赤と白の見事なコントラストに圧倒される。
大紅台を囲む建物群の中でも山門、碑亭や西蔵仏教建築様式の五塔門や瑠璃瓦の瑠璃牌楼などはすばらしい建築美を誇る。
廟を歩いていると、ある建物の壁に釘で掘られたたくさんの落書きがあった。よく見ると日本軍が1933年に承徳に侵攻した時に書いた落書きで、日本軍の部隊名や兵の個人名などが書かれている。痛ましい侵略の傷跡である。承徳に侵攻した日本軍は北京に迫り、やがて上海、南京への侵攻、重慶への無差別空爆、香港占領など泥沼の侵略戦争に突き進んだ。複雑な思いの中で“小ポタラ宮”を後にした。

旅案内

唐の時代、杜甫も「兵車行」で「或従十五北防河 便至四十西営田  辺庭流血成海水 武皇開辺意末已 」(ある人は北の河を守り、四十になっても兵のままで辺地を守っている、辺地で流れた血は海水のように溢れるが、皇帝の領土を拡げる野心はまだ止もうとしない)と詠んだ。 杜甫の時代から千年以上の後も人間の為すことは変わらなかったのか。壁の傷跡を見ながらそんなことを考える。

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