感動中国100 記事一覧
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第26回
湘西文化が伝わる歴史の街黔陽古城と洪江古商城
黔陽古城は漢の時代から二千二百年続き、湘西(湖南省西部)の歴史文化を伝える名城で、唐、明、清の時代の役所や商人の建物が残る。黔陽古城の南、沅(ヤン)江と巫(ウ)江の合流するところには洪(ホン)江古商城がある。明、清の時代に栄えた洪江商人の古商城で、洪江特産の桐油の商人の建物や新聞社や劇場、遊郭、清朝政府の徴税管理の役所「厘金局」などの風情のある建物が残る。
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第25回
苗族文化が残る石積集落苗人谷と苗寨
苗人谷は今も苗族の服装、歌、生活風習など苗族文化が色濃く残る、最後の苗寨(苗族が暮らす村)とも言われる。苗寨は湘(湖南)、黔(ケン、貴州)、滇(テン、雲南)に多く存在し、苗族は万物信仰、自然崇拝のもとに今も自然と共生して暮らす稲作民族である。苗人谷の家々の塀は石が積まれ、石を敷き詰めた村の道を、籠を背負った苗族の老婆が歩いていた。
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第24回
中国最美的小城鳳凰
鳳凰は湖南省の西部、湘西土家(トチャ)族苗(ミャオ)族自治州にある中国最美的小城と言われる。古城の建設が始まったのは明代の1554年で約500年の歴史がある街で、湘西民族の風情が残る古城である。街の中を沱江(トゥオジャン、ダコウ)が流れ、両岸を結ぶ飛び石と古代の趣ある虹橋は鳳凰を象徴する風景である。沱江の河岸には木造の古建築が並び、木造建物と石を積み上げた石造りの建築が調和しているのもこの古城を歩く楽しみである。
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第23回
千年の古鎮と奇岩芙蓉鎮/紅石林
湖南省の西、重慶市と貴州省の境の地を「湘西」と呼び、土家(トチャ)族や苗(ミャオ)族が暮らす。芙蓉鎮は張家界の南60㎞ほどにある土家王の千年古鎮で湘西四大古鎮の一つである。芙蓉鎮は春秋戦国時代に市がひらかれ漢の時代には酉陽県の役所が置かれて土家の王が住んだ都である。芙蓉鎮は” 楚蜀通津“と言われる水運の要衝にあり、北は「楚」の湖北、西は「蜀」の四川、南は「黔」の貴州に川で通じている。古鎮には高さ六十m、幅四十mの大滝があり、滝の上に古い家が建ち、他に見られない滝の上の古鎮である。
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第22回
峡幽神秘、五絶の世界天門山/張家界
その日、天門山から見下ろした張家界の街は雲におおわれ、天門山の下には雲海が拡がっていた。天門山に霧が立ち込めると“天門吐霧”と言われ、龍が煙を吐くように大きな天門洞の洞(穴)を霧が流れて“峡幽神秘”の世界が拡がる。天門山の絶壁にガラスの遊歩道がかかっている。透明ガラスの下は絶壁ではるか下に森が見える。まるで空中浮遊をしているようである。
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第21回
美人谷のある藏族の村丹巴藏寨
丹巴にはチベット族が集まり暮らす独特なチベット建築の丹巴藏寨(ツァンツァイ)村がある。丹巴藏寨は土塀と望楼を持つ独特の集落様式を古代から千年以上維持して民族の特色を守り続けてきた村である。そこで暮らす人々は“天人合一”の理想を求め、急峻な崖の上に村をつくった。丹巴藏寨で民族衣装を着飾り赤いスカーフをつけた今の“三絶”(丹巴美女)の若い女性と昔の“三絶”のおばあさんが村の特産品を売っている。今の“丹巴三絶”と昔の”丹巴三絶”の競演だった。
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第20回
錦秋の丹巴路を行く八美から丹巴路へ/雅拉雪山を望む/紅葉の丹巴路/四姑娘山の秋
四川省には蔵族などの少数民族が多く暮らす阿壩(アバ)蔵族羌(チャン)族自治州、甘孜(カンチ)蔵族自治州、涼山彝(イ)族自治州の三つの自治州があり、丹巴は甘孜蔵族自治州に属する。八美から丹巴に向かう道は蔵(チベット)族の村々を結ぶ街道である。錦繍の丹巴路は金色に輝くすばらしい街道だった。日本の丹波の秋も美しいがまた趣が違う雄大な秋景色がどこまでも続いていた。
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第19回
祈りの道を行く新都橋の霜の朝/塔公寺/塔公草原
新都橋近くの茶馬古道で荷車を引く一人の少女に出会った。少女は西安から荷車を引きながらここまで来て、今日で51日目だわと笑顔で語った。これから何日かけて古からの旅人が馬を引いて歩いた道を荷車を引きチベットまで旅をするのだろうか。その出会いは突然で、自分の心も洗われたような気がする。 四川省からチベットに、四川のお茶を運んだ幾筋もの茶馬古道が続いている。それはまた、チベット仏教に出会うための祈りの道でもある。そして塔公草原も祈りの草原だった。
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第18回
感涙のブルー牛奶海と五色海への道/牛奶海/五色海
登山道を登りつめると、翠の輝きを放ち、静寂の中にたたずむ牛奶海(牛乳の湖)のブルーが目に飛び込む。牛奶海は、そこを訪れる旅人の心を癒す菩薩の湖だった。高度にも慣れてきたのか、牛奶海を遠くから見たいと思い海抜5,000mくらいまでさらに山を登った。そこは人もなく、高山から吹き下ろす強い風が痛いほど顔に吹き付ける風の世界だった。牛奶海の碧と空の碧、その色はいつまでも心の中の碧となって残るだろう。









