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貢嘎崇拝3
INDEX
- 貢嘎崇拝【新都橋から冷嘎措へ】
- 貢嘎崇拝2【冷嘎措】
- 貢嘎崇拝3【楽山大仏】
暗くなって冷嘎措を出発し新都橋まで戻った。新都橋に着いたのは夜中、12時を回っていた。新都橋は気温が低くなるとよく霧が発生し、川と山、村の幻想的な風景が見られ写真の好きな人が多く訪れる地でもある。以前に訪れた時、霜と霧のチベット民家の風景を見ることができた。(感動中国100第19回―1)
翌朝、新都橋を出発して雅安(ヤアン)から峨眉山と楽山大仏に寄って成都に戻ることにした。雅安は国道318号と茶馬古道の起点の街である。近くには唐時代から茶で有名な蒙頂山がある。またパンダが最初に見つかった地で、街には大きなパンダ像があった。
三雅には三つの雅がある。雅魚、雅女、雅雨で、霧と雨が多く美味しいお茶を産し、また女性の肌も美しくなり、雅山、雅水、雅雨の天の恵みで雅魚が育つ。雅安名菜の雅魚を食べた。雅魚は唐代から王家への貢物で使われた魚で杜甫もその美味しさを詩に詠んだ。食べ終わると店の人が頭の骨を箱に入れてくれた。それは刀剣の形をしてお守りになるそうだ。
楽山大仏、弥勒菩薩坐像は楽山の岷江(ミンチャン)東岸にあり高さ71mの石像の大仏である。唐代、713年に建設が始まり完成は803年。峨眉(ガビ)山と楽山大仏は世界文化自然遺産である。翌日、峨眉山に登ったが山頂は濃い霧で何も見えなかった。“峨眉猴(猿、サル)”、“老青猴”と呼ばれ、“猴居士”の称号もある峨眉山の猿は、名前の通り威厳のある顔つきをしていたのが印象に残る。