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トゥバ族と哈薩克(カザフ)族の浄土2
INDEX
- トゥバ族と哈薩克(カザフ)族の浄土【喀納斯(カナス)禾木村1】
- トゥバ族と哈薩克(カザフ)族の浄土2【喀納斯(カナス)禾木村2】
- トゥバ族と哈薩克(カザフ)族の浄土3【喀納斯(カナス)禾木村3】
トゥバ族は馬に乗っても羊の群れには道をゆずりゆっくり走ると言う。火と水は神の授かりものとして崇拝し、川で身体を洗わず洗濯もしない。トゥバ族の家に招かれると出されたものを素直に受け入れ感謝でいただくことが大切という。興味本位に生活を詮索したり、出された食事を断ってもだめ。トゥバ族と同じように、訪れる人は“あるがままをあるがままに”受け入れることが大切だそうだ。
漢詩には「遊仙詩」と呼ぶユートピアの詩も多い。晉代の詩人、郭璞は「京華遊侠窟 山林隠遯棲 朱門何足栄 未若田託蓬萊 臨源挹清波 陵崗掇丹荑 霊谿可潜盤 安事登雲梯」(都には遊興があるばかり 山林はそこから逃れる棲家、どうして名や金を名誉に思うことがあろうか、それらは仙境に身を託すに勝るものではない、清らかな流れに水を汲み、丘に登り薬草を摘む、神秘な渓谷で秘かに語れば、なぜあくせく高いところに登ることに汲々とする必要があろうか)。と詠んだ。人生、時に「浄土」に身を置きトゥバ族のような生活に浸り、世俗の垢を流すことも必要だろう。水の流れ、白樺の森を吹き渡る風の音、草を食む馬、立ち昇る煙、それらはカナス(喀納斯)の旅人を遊仙詩人にしてくれる。