感動中国100 記事一覧
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第22回
峡幽神秘、五絶の世界天門山/張家界
その日、天門山から見下ろした張家界の街は雲におおわれ、天門山の下には雲海が拡がっていた。天門山に霧が立ち込めると“天門吐霧”と言われ、龍が煙を吐くように大きな天門洞の洞(穴)を霧が流れて“峡幽神秘”の世界が拡がる。天門山の絶壁にガラスの遊歩道がかかっている。透明ガラスの下は絶壁ではるか下に森が見える。まるで空中浮遊をしているようである。
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第21回
美人谷のある藏族の村丹巴藏寨
丹巴にはチベット族が集まり暮らす独特なチベット建築の丹巴藏寨(ツァンツァイ)村がある。丹巴藏寨は土塀と望楼を持つ独特の集落様式を古代から千年以上維持して民族の特色を守り続けてきた村である。そこで暮らす人々は“天人合一”の理想を求め、急峻な崖の上に村をつくった。丹巴藏寨で民族衣装を着飾り赤いスカーフをつけた今の“三絶”(丹巴美女)の若い女性と昔の“三絶”のおばあさんが村の特産品を売っている。今の“丹巴三絶”と昔の”丹巴三絶”の競演だった。
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第20回
錦秋の丹巴路を行く八美から丹巴路へ/雅拉雪山を望む/紅葉の丹巴路/四姑娘山の秋
四川省には蔵族などの少数民族が多く暮らす阿壩(アバ)蔵族羌(チャン)族自治州、甘孜(カンチ)蔵族自治州、涼山彝(イ)族自治州の三つの自治州があり、丹巴は甘孜蔵族自治州に属する。八美から丹巴に向かう道は蔵(チベット)族の村々を結ぶ街道である。錦繍の丹巴路は金色に輝くすばらしい街道だった。日本の丹波の秋も美しいがまた趣が違う雄大な秋景色がどこまでも続いていた。
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第19回
祈りの道を行く新都橋の霜の朝/塔公寺/塔公草原
新都橋近くの茶馬古道で荷車を引く一人の少女に出会った。少女は西安から荷車を引きながらここまで来て、今日で51日目だわと笑顔で語った。これから何日かけて古からの旅人が馬を引いて歩いた道を荷車を引きチベットまで旅をするのだろうか。その出会いは突然で、自分の心も洗われたような気がする。 四川省からチベットに、四川のお茶を運んだ幾筋もの茶馬古道が続いている。それはまた、チベット仏教に出会うための祈りの道でもある。そして塔公草原も祈りの草原だった。
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第18回
感涙のブルー牛奶海と五色海への道/牛奶海/五色海
登山道を登りつめると、翠の輝きを放ち、静寂の中にたたずむ牛奶海(牛乳の湖)のブルーが目に飛び込む。牛奶海は、そこを訪れる旅人の心を癒す菩薩の湖だった。高度にも慣れてきたのか、牛奶海を遠くから見たいと思い海抜5,000mくらいまでさらに山を登った。そこは人もなく、高山から吹き下ろす強い風が痛いほど顔に吹き付ける風の世界だった。牛奶海の碧と空の碧、その色はいつまでも心の中の碧となって残るだろう。
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第17回
神々の山仙乃日
亜丁村、ここはチベット族の信仰の地である。村は「観音」「文殊」「金剛」の三位菩薩にたとえられる三つの雪峰に囲まれていた。一番高い山は標高6,032mの北峰、観世音菩薩の仙乃日である。その姿はまるで慈母観音のようでもあった。仙乃日の麓には仏様に仕えるように冲古(チョンク)寺があり、寺は紅葉に映え金色に輝いていた。 仙乃日の足もとには珍珠海が静寂の中で碧い水をたたえている。「碧波蕩漾」の言葉のように碧い水が静かに波打ち、仙乃日の麓には慈母観音を愛でるかのように金色の紅葉が輝いている。
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第16回
亜丁への道紅石公園/紅石公園から康定へ/折多山 貢嗄(コンガ)山/天路十八号と理塘/海子山
康定から新都橋に向かう途中、国道318号は海抜4,298mの折多(チタ)山峠を通る。峠を越える道は壮観である。峠で車を止めてアイゼンをつけて雪の折多山に登った。折多山は青藏高原に入る分水嶺で、折多山を越えると茶馬古道はチベットに入る。折多はチベット語で“湾曲”を意味し、“嘉絨”(美しい織物)とも呼ばれる。山への登り道の両側に風馬旗が風になびき、その道は天に上る階段のようである。
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第15回
高山を仰ぐ壮大なドラマ貢嗄(コンガ)山と海螺(ハイロウ)溝
その日、貢嘎(コンガ)山の麓の氷河、海螺(ハイロウ)溝は厚い雲に覆われ周囲の雪峰はブェールに包まれたように姿を隠していた。氷河を歩きながらふと後ろをふりかえると、ポツンと点のように青い色が現れた。そして青い点は次第に大きくなり、まるで額縁の絵を見るかのように雪峰の頂が現れた。いったい誰がそんな演出をしたのだろうか。壮大な大自然のドラマの一コマだった。
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第14回
天山の山懐に抱かれて天山天池/南山牧場/奎屯河大峡谷
明の時代の呉偉業が詠んだ口占(即興)の詩の一節に、「兼来高枕白雲辺 吾生此外無他願」がある。生きるのに退屈すれば枕を高くして白雲の下に寝転んでいればよい。我が人生、他に何の望みがあろうか。という詩である。南山牧場で花に囲まれ温かい春の陽ざしを浴びながら、白雲の下で長い時間寝ていると、呉偉業が詠んだように他には何もいらないという気になってきた。