感動中国100 記事一覧
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第28回
碧水、碧空、山花爛漫の伊犁河谷へ賽里木(サリム)湖、果子溝
周囲90㎞の湖畔は春に菜の花で黄色になり、初夏は薫衣草(ラベンダー)で紫の草原になり、四季折々に美しい風景が見られる。サリムはカザフ語で“願い”の意で、湖水は愛に殉じた恋人たちの涙でできたとの言い伝えがある。そこは恋人たちの聖地だった。毎年湖畔を回る自転車ロードレースがあるという。湖畔には花が咲き乱れ、周囲はトウヒの林、湖面を吹き渡る風とともに湖畔を走るのはどんな気分だろうか。山の向こうはもうカザフスタンである。
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第27回
清朝四大皇帝、康熙帝ゆかりの地を訪ねて北京から河北路を内モンゴルへ/奇岩の回廊(承徳近郊)/避暑山庄/普陀宗乗之廟/普楽寺夕景
避暑山庄の向かいの山に清朝時代に建てられた「外八廟」と呼ぶ八つの寺院がある。その一つの普楽寺は1766年に建築が始まった漢族仏教様式と西蔵仏教様式の折衷様式で建てられたお寺である。普楽寺には有名な木製曼荼羅と瑠璃硝子の黄色い屋根瓦、黄金の宝頂と円形の建物で有名な旭光閣がある。太陽が沈みかけると空が赤く染まり、旭光閣の屋根が夕陽に照らされる。そして旭光閣と境内の木々が夕陽を背景に美しいシルエットをつくる。
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第26回
湘西文化が伝わる歴史の街黔陽古城と洪江古商城
黔陽古城は漢の時代から二千二百年続き、湘西(湖南省西部)の歴史文化を伝える名城で、唐、明、清の時代の役所や商人の建物が残る。黔陽古城の南、沅(ヤン)江と巫(ウ)江の合流するところには洪(ホン)江古商城がある。明、清の時代に栄えた洪江商人の古商城で、洪江特産の桐油の商人の建物や新聞社や劇場、遊郭、清朝政府の徴税管理の役所「厘金局」などの風情のある建物が残る。
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第25回
苗族文化が残る石積集落苗人谷と苗寨
苗人谷は今も苗族の服装、歌、生活風習など苗族文化が色濃く残る、最後の苗寨(苗族が暮らす村)とも言われる。苗寨は湘(湖南)、黔(ケン、貴州)、滇(テン、雲南)に多く存在し、苗族は万物信仰、自然崇拝のもとに今も自然と共生して暮らす稲作民族である。苗人谷の家々の塀は石が積まれ、石を敷き詰めた村の道を、籠を背負った苗族の老婆が歩いていた。
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第24回
中国最美的小城鳳凰
鳳凰は湖南省の西部、湘西土家(トチャ)族苗(ミャオ)族自治州にある中国最美的小城と言われる。古城の建設が始まったのは明代の1554年で約500年の歴史がある街で、湘西民族の風情が残る古城である。街の中を沱江(トゥオジャン、ダコウ)が流れ、両岸を結ぶ飛び石と古代の趣ある虹橋は鳳凰を象徴する風景である。沱江の河岸には木造の古建築が並び、木造建物と石を積み上げた石造りの建築が調和しているのもこの古城を歩く楽しみである。
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第23回
千年の古鎮と奇岩芙蓉鎮/紅石林
湖南省の西、重慶市と貴州省の境の地を「湘西」と呼び、土家(トチャ)族や苗(ミャオ)族が暮らす。芙蓉鎮は張家界の南60㎞ほどにある土家王の千年古鎮で湘西四大古鎮の一つである。芙蓉鎮は春秋戦国時代に市がひらかれ漢の時代には酉陽県の役所が置かれて土家の王が住んだ都である。芙蓉鎮は” 楚蜀通津“と言われる水運の要衝にあり、北は「楚」の湖北、西は「蜀」の四川、南は「黔」の貴州に川で通じている。古鎮には高さ六十m、幅四十mの大滝があり、滝の上に古い家が建ち、他に見られない滝の上の古鎮である。
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第22回
峡幽神秘、五絶の世界天門山/張家界
その日、天門山から見下ろした張家界の街は雲におおわれ、天門山の下には雲海が拡がっていた。天門山に霧が立ち込めると“天門吐霧”と言われ、龍が煙を吐くように大きな天門洞の洞(穴)を霧が流れて“峡幽神秘”の世界が拡がる。天門山の絶壁にガラスの遊歩道がかかっている。透明ガラスの下は絶壁ではるか下に森が見える。まるで空中浮遊をしているようである。
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第21回
美人谷のある藏族の村丹巴藏寨
丹巴にはチベット族が集まり暮らす独特なチベット建築の丹巴藏寨(ツァンツァイ)村がある。丹巴藏寨は土塀と望楼を持つ独特の集落様式を古代から千年以上維持して民族の特色を守り続けてきた村である。そこで暮らす人々は“天人合一”の理想を求め、急峻な崖の上に村をつくった。丹巴藏寨で民族衣装を着飾り赤いスカーフをつけた今の“三絶”(丹巴美女)の若い女性と昔の“三絶”のおばあさんが村の特産品を売っている。今の“丹巴三絶”と昔の”丹巴三絶”の競演だった。
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第20回
錦秋の丹巴路を行く八美から丹巴路へ/雅拉雪山を望む/紅葉の丹巴路/四姑娘山の秋
四川省には蔵族などの少数民族が多く暮らす阿壩(アバ)蔵族羌(チャン)族自治州、甘孜(カンチ)蔵族自治州、涼山彝(イ)族自治州の三つの自治州があり、丹巴は甘孜蔵族自治州に属する。八美から丹巴に向かう道は蔵(チベット)族の村々を結ぶ街道である。錦繍の丹巴路は金色に輝くすばらしい街道だった。日本の丹波の秋も美しいがまた趣が違う雄大な秋景色がどこまでも続いていた。