北京から承徳へ

河北省承徳市とその周辺

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清朝四代皇帝、康熙帝ゆかりの地を訪ねて

北京と河北省の二つの清朝四代皇帝、康熙帝ゆかりの地を訪ねた。
先ず、北京市の西北、北京大学と精華大学に接している圓明園。宏大な園内は圓明、長春,qI春、の三つの庭園から成り、夫々が広い。庭園の池の向うに沈む夕日は北京の喧噪を忘れさせてくれる。清の時代に園内にはカステイリオーネ(郎世寧)も建築に携わったとされる西欧建築群と宏大な西洋式庭園があった。しかし1860年にイギリス軍により建物や庭園は破壊された。今はその残骸が侵略の歴史遺跡として残されている。それらの建築物が現存していれば重要な歴史的、文化的価値がある建物が今に伝えられていた。

北京の中心から250㎞ほど行けば、河北省から内モンゴルに至る。万里の長城を越え、複雑な地形の岩山の間を抜ければ、やがて草原が広がり内モンゴルに入っていく。河北省の承徳の街にあるのが、1703年の康熙帝の時代に建設が始まり、1792年の乾隆帝時代に完成した避暑山庄である。

清朝の代々の皇帝は夏の間、北京の紫禁城の暑さを避け、避暑山庄で執務した。清朝時代、当初は承徳のさらに北のウエイ場で狩猟をしていた。ウエイ場から北京に戻る途中、周囲を山に囲まれ、川がながれ夏も涼しい承徳が気に入り山庄を建たそうである。承徳は気温の寒暖差も大きくリンゴ,杏子、栗、桃、クルミなど美味しい果物が豊富にとれるところである。

山庄の対面に清朝皇帝が西蔵王を招待するために建てられた拉薩にある布達拉(ポタラ宮)のミニ版、小布達拉宮がある。小と言っても中途半端な建物でなく、25.79万㎡の敷地に壮大な宮と西蔵様式の建物群がつくられている。承徳はお寺と岩峰の街である。山庄の周囲に布達拉を始め、金漆木彫の仏像で有名な普寧寺や普楽寺など八つの大きな寺がある。

避暑山庄や布達拉宮、承徳市街からも見ることができる磐錘峰は不思議な岩峰だった。一見、男性の象徴のように見える岩は、野武士が直立不動、泰然自若で厳しい風雪に立ち向かう姿にも見えた。承徳から北京への帰路、不思議な岩峰と岩があった。山の上に、今にも落ちそうで落ちない岩のそばに行ってみた。人の背丈の倍はある大きな岩はどのようにバランスを保っているのか、トリックのようでもあり、自然の不思議を感じさせてくれる。

  • 北京、圓明園
  • 河北省と内モンゴルの境界付近の草原の早春
  • 承徳の磐錘峰

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